宝永三ツ宝丁銀とは、宝永7年4月2日(1710年4月30日)から鋳造開始された丁銀の一種で秤量銀貨であり、単に三ツ宝丁銀(みつほうちょうぎん)とも呼ばれます。
表面には「大黒像」および「寳」の文字および両端に二箇所の「宝」字極印およびその内側に一箇所のやや小型の「宝」字極印が打たれ「宝」字極印も玉の上部が
「常是」の極印はなく、これは元禄15年8月15日(1702年9月6日)、大黒常是(長左衛門家五代常栄)が関久右衛門の奸計により荻原重秀から召放し
を受けた結果であったと言われています。
また、「大黒像」極印を12箇所打った祝儀用の十二面大黒丁銀が存在します。