ロイヤルコペンハーゲンは、今から240年以上前の1775年、デンマークで王立の磁器製作所として開窯しました。
しかし、開窯に至るまでの道筋は平たんなものではありませんでした。
18世紀初頭の1710年にドイツのマイセンがヨーロッパで初めての硬質磁器の製造に成功してからというもの、その製法はオーストリアやイタリア、フランスにも伝わり、
いくつもの書籍で紹介されていましたが、実際に磁器製造をするのは困難を極めたと言われています。
鉱物学を専門とする化学者だった「フランツ・ハインリッヒ・ミュラー(Frantz Heinrich Müller、1732-1820)」も長い間、珪石・カオリン・長石を原材料として、
硬質磁器の試作を続けてきましたが、書籍からの知識だけでは磁器製造にはほど遠く、小さな窯の前でミュラーは多大な時間とお金を費やしたそうです。
しかし、磁器製作の原料として必須であったカオリンが1755年にボーンホルム島(Bornholm)で発見され、次第に磁器製造の体制が整ってきます。
1774年になってようやく、ミュラーはデンマーク初の磁器工房の開業を実行に移そうとしますが、投資家としてこの計画に興味を示すものはほとんどありませんでした。
そこで風のように颯爽と現れたのがユリアーネ・マリー王太后とその息子フレデリク王子。
二人は工房の株式を購入し、財政的にミュラーをサポートしたのです。
ユリアーネ・マリー王太后は、デンマーク王室のフレデリク5世の2番目の王妃。彼女は王妃時代には目立つ存在ではありませんでしたが、
夫が亡くなり、1772年に息子が皇太子になると、彼女は裏で息子を操ることで実権を握るようになっていました。
それにしても、ユリアーネ・マリー王太后はなぜ、磁器工房の開業をサポートしたのでしょうか。
それには2つの理由があるようです。
1つは、中国から運ばれてくる白い磁器を自分たちの手で生み出したいという機運がヨーロッパ諸国で高まっていたこと。
当時、ヨーロッパの王侯貴族の間で、磁器は「白い金」としてもてはやされ、外交上の贈り物として重宝されていたのです。
また、磁器を所有することは、自らの権力だけでなく、芸術に対する造詣の深さをアピールするのにぴったりなものでもありました。
2つめは、ユリアーネ・マリー王太后は磁器に関する名門一家の出身であったこと。
彼女の実の兄であり、神聖ローマ帝国の領邦国家の1つ「ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公」であった「カール1世」は、
ドイツ7大名窯のひとつにも数えられるフュルステンベルク磁器工房 (1747年創業)を起こした人物。
また、彼女の姉「エリーザベト・クリスティーネ」はKPMベルリン(1763年創業)を設立したフリードリヒ2世にお輿入れをした人なのです。
兄弟姉妹で連絡は取りあっていたようですが、磁器製造の秘儀は決して明かさなかったとのこと。
自分の身内が磁器で成功する姿を見て、次は私の国でも!と思ったのかもしれませんね。
そんな時代背景や兄・姉夫婦の磁器工房の名声が伝わってきたこともあってか、後のロイヤルコペンハーゲン(Royal Copenhagen)の元となる「デンマーク王立磁器工房(The Royal Danish Porcelain Manufactory)」が1775年に開窯されました。
最初の工房は郵便局を転用したもので、磁器製造に関して50年間の独占権が与えられたそうです。